マーズ柔術クラブオープンまでの道のり


プロレス、総合格闘技、修斗、UFC、PRIDE...ヒクソン・グレイシー、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに憧れ、見る側の人間だった私が、ブラジリアン柔術を意識し始めたのは、仕事場の近くに「グレイシーJAPAN (現AXIS)」があったのが始めでした。

 

何度か、見学に行こうと思い、中を覗きましたが、いつも、汗ダクの屈強な外国人選手がいてビビリ、入り口にあるパンフレットを足早に取り、逃げるように立ち去るのがやっとでした。

 

それから数年が経ち、上京してから音楽活動中心としていたのですが、中々上手くいかず、音楽に対して限界が見えてきました。趣味でゆるく活動するのもありでしたが、何かモヤモヤし、それも出来ず。それまで在籍していた何個かのバンドも辞め、自身のバンドも解散しました。生活面でも、パートナーとも別れ、負の連鎖。

 

何か刺激が欲しかったんです。その時は。年齢も30歳手前なので、「何か違う新しい事をやろう!!」っと思いました。

 

「格闘技、ブラジリアン柔術やろうかな?」

 

前に行く事が出来なかった、ブラジリアン柔術の道場を行こうと思い、先ずは近くの道場を格闘技雑誌で調べました。

 

当時住んで居た所から近くに「パレストラ吉祥寺 (現パラエストラ吉祥寺)」が出来たので、見学に行きました。当時はビルの地下(また、ここも入りにくい)にあり、勇気を振り絞り重い扉を開けました。

 

始めに対応してくれた、高谷聡先生も優しそうで、雑誌や会場で見た事のある有名選手の植松 直哉先生もいる事だし、先ずは週一会員で、入会。運動不足解消、テレビで見た事のある、格闘技を触れる感じでいいんだ…始めはこんな感じでスタートしました。

 

始めての練習でマット運動、技練習で既にヘロヘロ。その後、経験者の女性の方とスパーリング。(トライフォース 五反田おかみ 秋川 かずよさん)

 

「まぁ男だし、体力的差もあるから・・・」っと思ったのですが、何も出来ず、スイープされ、嫌がってうつ伏せになった所、バック、送り絞めでタップ。

 

「柔術すげー」

 

それから、フルタイム会員になり、どっぷり柔術に浸かりまくりました。柔術と出会ってからは、毎日の生活にハリが出て、道場に行く事が楽しく、練習後の交流会、試合遠征など、とても良い時代を過ごしました。

 

パラエストラ吉祥寺では5年在籍、青帯まで取得。パラエストラ吉祥寺では5年在籍、青帯まで取得。そのまま、この道場のメンバーとして、頑張ろうと思ってました。ですが、母親の体調不良の為、その介護に実家の群馬県に戻りました。

 

群馬に戻り、母親の体調も回復。そのまま群馬に住所を移し、ブラジリアン柔術を再開しようと思いましたが、中々、今以上にブラジリアン柔術の道場を見つけることが難しく、一番近くても、車で50分の、始めの道場「ノバ ウニオン伊勢崎」に入りました。でも、再び道着を着て練習する喜びまぁ、ゆっくりやろうかな。

 

でも、その道場でも、良い出会い。良い経験。

 

エナジーゴッド 塚田 市太郎先生や 世界チャンピオンのアリソン・キキ・メーロ先生と一緒に練習する事が出来ました。群馬に戻りまだ、職についていなかったので、キキ先生と塚田先生と一緒に、3カ月朝、夜、たまに、土日の昼練をやり込みました。

 

先生達曰く「ブラジルでは当たり前の練習」とても、キツかったです。

 

「ブラジルすげー!!」

 

先生達の紹介で、本場ブラジルのナタウ地区の「ノバ・ウニオン・キムラ」で短期間ですが修行が出来ました。この頃の経験が自身の柔術のスタイルになっていると思います。

 

ノバ 時代では、紫帯まで取得し、事情があって離脱した、塚田先生の後を追い「ダムファイトジャパン 」に移籍。この道場では、エヴァルド・サントス先生の指導も受け、茶帯、黒帯まで取得。

 

その時、40歳…

 

年齢も加えて、今迄のケガ、故障、手術もあり、ハードな練習に付いて行けず、でも、痛み止めを飲んでの練習、週一ブロック注射騙し騙しの練習。毎日練習したのに、回数も減り、その後離脱この頃は少し柔術が嫌いになりました。

 

 

離脱後は、施術、身体操作、解剖学の勉強をしながら、自身の身体を整え、何とかスパーリング、マスターの試合にも少しずつ出場出来るまで回復しました。ここで、再び自身の中で、何かが変わりました。

 

「自分が始めた頃のドキドキした、楽しい柔術を誰かに伝えたい!」

 

「ケガなどに困らない様に、キチンと指導したい!」

 

っと思い道場、皆が楽しめる場所を作りたいと思いました。

 

2014年に「マーズ柔術クラブ」を立ち上げ、その後、「OVER LIMIT BJJ」のアソシエーションに加入、エジソン・籠原先生に黒帯一段、二段を授与されました。

 

始め、練習場所は公共の施設は常に予約がいっぱいで、中々借りる事は難しく、自宅の納屋を改造し、そこで仲間と練習。体育館、武道館の借りれる時にはその場所で練習と、なかなか練習時間を確保するのが難しかったです。

 

唯一借りれた、藤岡市総合学習センター武道場。昔の畳を使っていたので、とても固く、毎回ジョイントマットを40枚軽自動車で積んで運び、マットを敷いて練習していました。雨、雪、参加者0…2年続きました。よくやれたと思います。柔術愛ですね。そして、2019年に一念発起。場所を藤岡市内に借りて、新道場を設立する事が出来ました。

 

「これから、さぁ〜やるんべぇ!!(群馬弁)」っと思ったのですが、2020年に新型コロナショックにより、道場が休館…

 

3カ月間、凄くハードな自粛期間を過ごしましたが、仲間達の助けも借り、やっと道場再開が、出来る事になりました。

 

これからは、今迄、お世話になった人達に感謝。また、これから、道場に来館される方々にも良い場所を提供したいとおもってます。

 

 

VAMOS TREINAR JIU-JITSU ! !

ブラジル柔術やりませんか!!

 

OSS!!