前田光世
エリオ・グレイシー
ブラジリアン柔術は、創始者の名前からグレイシー柔術とも呼ばれる。明治時代、ブラジルに移民した日本人柔道家・前田光世が自らのプロレスラーなどとの戦いから修得した技術や柔道の技術をカーロス・グレイシー、ジュルジ・グレイシーなどに伝え、彼らが改変してできあがった。ブラジルではリオデジャネイロを中心にサンパウロやクリチバなどで、長年に渡り盛んに行われている。ブラジリアン柔術には、護身術と格闘技という側面があるが、最初に前田光世から手ほどきを受けたカーロス・グレイシーの弟であるエリオ・グレイシーは小柄で喘息持ちであった。そんな彼でも自分の身を守り、体格や力の上で劣る相手でも勝てるように考案されたのがグレイシー柔術、すなわちブラジリアン柔術である。それらは、寝技の組み技主体であるが故の安全性の高さや、全くの素人からでも始められるハードルの低さから、競技人口が急速に増加している。
格闘技好きなら知っている、世界で最も大きな総合格闘技大会UFC(アルティメットファイティングチャンピオンシップ)この第一回は、目潰し、金的以外のなんでもありルールで、世界一を決める、かなりヤバめの格闘技大会だった。その大会を制したのは、ひょろっとしたブラジル人だった。そのブラジル人は、ゴリマッチョレスラーや空手家をなぎ倒し、今では当たり前のマウントポジションや三角絞め、バックから裸絞めを使い、相手に何もさせずに勝ち上がり優勝。彼の名はホイス・グレイシー。世界はその時、グレイシー柔術が世界最強の格闘技だと知ることになる。ホイスは勝利者インタビューで、「僕の兄は僕の10倍強いと言い放った」その兄こそがヒクソン・グレイシー。40代以上で格闘技好きなら知らない人はいないだろう。
日本の格闘技はプロレスと非常に密接で、プロレスラーこそが最強だと信じられている時代が長かった。それに終止符を打ったのは、他でもないホイスの10倍強いと言われていた、ヒクソン・グレイシーだった。高田延彦、船木誠勝といったプロレスラーやパンクラシストを破り、日本人はグレイシー柔術の強さを目の当たりにする。私もそのヒクソンを見て強烈にグレイシー柔術に惹かれた一人である。300戦以上無敗と言われていたヒクソンのファイトスタイルは、プロレスとは全く違う、相手を少ない手数で倒す、殺し屋のようなスタイルであった。
ヒクソン旋風後、急激に総合格闘技需要が高まった日本では、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコ、桜庭といったスターファイターが出るPRIDEが人気を博し、同時期に人気のあった立ち技系イベントK-1と双璧をなすまでに成長した。PRIDE大会は多数開催され、観客も増え続け、テレビ放送も大晦日は複数のチャンネルで格闘技生中継が行われるほどになった。グレイシー柔術は、もはや総合格闘技の必修科目となった。呼称も一般化され、「柔術」または「ブラジリアン柔術」となった。日本でもブラジリアン柔術を教える道場が都内を中心にチラホラ出始めたのもこのころだ。
PRIDEを軸とした国内総合格闘技シーンは、INOKIボンバイエなどいくつかの団体を生み、それぞれテレビ局がスポンサーになるが、一方、選手の奪い合いが激化し、ふとした不祥事をきっかけに一気にブームが沈静化していく。それまでOLや子供までも大晦日は血まみれのMMA(総合格闘技)を見ていたのが嘘のように。その後、アメリカではUFCが日本での格闘技シーンの流行らせ方を学び取り、選手育成リアリティショー(TUF)などをきっかけに一気にブームが来る。これは世界的なブームで、総合格闘技はそれまでの、殺し合い、壊し合いのイメージからルールが厳格化されたスポーツに成長していく。選手層も厚く、階級制もきちんと分けられ、また女性ファイターのスター選手も生み出し、MMAは完全に市民権を得る。と同時に、MMAの必修科目である、柔術も市民権を得たのであった。
UFCのブームと同時に、総合格闘技ジムの需要が世界で高まり、同時に、柔術道場需要も呼び起こした。それはかつての空手ブームのように、世界中どこにいってもJiu-Jitsu道場が立ち並ぶようになった。特にアメリカでは一気に柔術道場が増え、ブラジル人のトップ柔術家はアメリカで道場を開けることが、彼らの成功への道筋となった。一方日本はUFCはwowowの有料放送でしか見れなかったことと、やはりスポーツ化されたMMAは、プロレス的なアングルに慣れた日本人にとっては物足りなかったか、一部マニアしかファンを獲得できず、地上波で総合格闘技を見ることは、その後RIZINが流行るまで10年ほどの空白期間をうむことになった。よって国内でブラジリアン柔術をやるものは、PRIDEの熱心なファンくらいのものだった。
UFCブームに伴い、ハリウッドスターもアクションに柔術を取り入れ始める。キアヌ・リーブス、スカーレット・ヨハンソン、トム・クルーズといった、大物が次々柔術をはじめ、そして生活に取り入れ始める。それから遅れて日本でも木村拓哉さん、V6岡田さん、品川庄司の品川さん、元AKB小嶋陽菜さんなども、柔術をやっているという情報がメディアに出てくるようになった。つまり柔術のイメージは、それまでの汗臭い、男臭い格闘技から、サーフィンやスケートボードのように、ライフスタイルとしての格闘技という位置にまで上り詰めることとなる。
総合格闘技は打撃と寝技で構成されているが、ブラジリアン柔術は、一般的には知られていないが、打撃がない。打撃を廃することで、怪我のリスクを下げ、取り組める年齢層を拡大して、いわば柔道のような取り組みやすい武道として世界で市民権をえることとなる。帯色、年齢、体重などで細かくカテゴライズされた大会が開催され、どの年代、体重でもチャンピオンが生まれることとなる。これらは柔術の生みの親のグレイシー一族の功績であり、このおかげで、日本でも柔術世界チャンピオンが、多数存在する。また打撃がないおかげで、寝技は独自の進化をとげ、PRIDEが流行っていたころと現在の柔術では、もはや全く別物といっていいほど違う競技のように見える人もいるだろう。それはストリートで使えるかどうかという価値観はどうでもよく、柔術というルールの中での強さを競うことが趣旨となり、それに夢中になるファイターが世界の柔術シーンを支えている。
ブラジリアン柔術は柔術着を着て行うのが基本スタイルだが、Tシャツやラッシュガードに短パン姿で行うノーギ柔術(またはグラップリング)というものもあり、どちらも人気がある。違いはつかめるかどうかであり、またルールも多少違う。海外では柔術と一言で言っても、ノーギがメインのこともある。日本ではどちらかというと柔術着を着て行うのがスタンダードである。ちなみにマーズ柔術クラブでは、その両方のクラスがある。
かつて柔術は、強くなるために始める人が多かったが、現在はフィットネス感覚で始める人が増えてきている。それは米グーグル社が福利厚生にブラジリアン柔術を採用したり、そのゲーム性が、頭をつかう格闘技ということで、エリート層に受け入れられた事が大きい。日本でも東京をはじめ、青山やオシャレなエリアにできた道場にモデルや芸能人が通う道場があることで、女性で柔術を始める人が増えてきている。それは柔術の全身運動が効率の良い脂肪燃焼を促し、効率的に理想的なボディを手に入れられることがわかってきたからだ。そして、なんといっても、仲間と練習する柔術の楽しみが徐々に浸透したことが大きい。
柔術を長年続けている人は、口を揃えて必ずこういう。「道場は特別な場所」それは職場、家庭の次になくてはならない場所。つまり最近注目されているサードプレイスという概念。それにふさわしい場所なのだ。そこでは年齢、性別、身分などを超えた一つの趣味で語り合える、すばらしい空間。互いに汗を流し、技を追求し、お互いの成長を称え合う。そういう場所なのだ。それは、閉鎖的な現代人に最も必要とされている、いわば「寄り合い場」であると私は思っています。居酒屋やパチンコ屋といった寄り合い場もありますが、柔術のほうが経済的だし健康的です。そういった意味で、私こと中野雅士は群馬県藤岡市に、マーズ柔術クラブというサードプレイスを根付かせたいと思っているのです。